ボクとトイレと先生と
小学生「先生、トイレ!」
先生「先生はトイレじゃありません!」
この有名な応酬を一度は聞いたことがありますよね?
本当に皆さんが小学生時代、同じ教室内でこの応酬が繰り広げられているのを耳にしたかどうかはおいといて、まあほとんどの人はインターネットとかを通して知っていると思います。
説明するのも野暮ですが、この応酬は、小学生が「先生に対してトイレに行きたい旨を伝達する」意思表示の中で助詞やら述語やらを省いた結果、その言い回しを先生に皮肉的に解釈されてしまったというところに面白さがあります。
もちろん先生は、小学生が心から “先生=トイレ” だと認識しているとは考えておらず、その上で「ちゃんと伝えろや」という意味を込めて、このように返したのでしょう。
しかし、どうでしょう。
6年間の楽しい小学校生活の中のほんのひと時とはいえ、このような応酬により貴重な授業時間を奪われてしまうのはもったいないとは思いませんか?
いえ、思っていないのはわかっています。
でも、ここでは読者の皆さんが共感してくれたものとして話を進めます。
今後、全国の小学校において、貴重な授業時間が奪われるといった事例を再発させてはなりません。
こんな応酬に時間を使うくらいなら小学生には、今後卒業すると死ぬまで一切使わなくなる dL(デシリットル) や帯分数と思う存分戯れてほしいし、社会科の教科書に載っている偉人の顔写真に気が済むまで落書きをしてほしい。
落書きは中高生になってもできるか。
私は父でもないし、近所ではしゃぎながら登下校している小学生を見ても普段は「お、今日も活きがいいな」程度にしか感じませんが、時には私にもこんな時代があったのだなあと回顧しながら死んだ目でワークスペースへと通います。
小学生のうちくらいは将来の心配なんてしないで思いっきりはしゃいでもいいんだと彼らに伝えたいです。
私からのメッセージです。
それはそれとして、トイレに行きたいだけの小学生にとって、先生に自身がトイレだと主張しているのではないかと勘違いされる時間は確実に無駄なので、ここで、小学生目線で先生を含めた周囲との関係性を改めて明確にしておきたいと思います。
以下の相関図にまとめました。
相関図
いかがでしょうか。
私からの、メッセージです。