牛タン

 

 

こんばんは、レモンエフです。

 

最近、牛タンって大きく2種類に分けられることに気付きました。

 

一つは、
「うんうん、普通に美味しい肉だよね。
味が牛タン特有のそれ。食感もまあ牛って感じ」

といったような、あくまで牛肉の一部位としての牛タンです。

 

 

そしてもう一つは、

「うっわ、これ味ばかりかカットの形から食感まで完全に“舌”じゃん!

いま自分完璧明らかに『牛の舌』を食べてるわ。

人間も牛も舌の形とか感触って大差ないもんな。

 

ありがてえ、牛さんマジありがてえ、

胃袋は4つあっても舌は1枚しかないのに。

 

牛さんにガチ感謝。

 

 

うん、『舌』っちゅうか、もっと生々しいわこれ。

『ベロ』だな、『舌』よりも『ベロ』って感じが強い。

これは『牛タン』超えて『牛ベロ』です!

 

ベロだなー、ベロ、ベロですの。

ベロ、ベロベロ、ベロベロ、ベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロ

 

 

 

…ん?いま口に入ってる肉は牛さんのベロ?

それとも自分のベロ?

 

ぷゆゆ〜〜、

分かんなくなっちゃった〜 ☆〜(ゝ。∂)」

 

といったような、所謂ぷゆゆ〜〜になってしまう牛タンです。

 

分かる人いませんかね・・・・・

 

 

レモンエフの一人会議(DJ: LemonF)

 

 

【今週のトークテーマ:最近の小さな発見】


お、このお便り、冒頭に注釈付きで
「ラジオネームは最後に紹介してください」
と書いてありますね(笑)

神奈川県 52歳女性の方です。ㅤ

 


「レモンエフさん、こんばんは。
毎週楽しみに聴いていますが、お便りを送るのは今回が初めてです」


なるほど、初めてのお便りありがとうございます。

 

最近の小さな発見。

今回の投稿に向けて、初めて自分にラジオネームを付けようと考えてみました。


いろいろ考えた中でふと
『生麦生米生醤油(きじょうゆ)』

という名前が浮かびました」

 

ーーー(笑)

 


「でもそれならあえて誤読することで統一させて、

『生麦生米生醤油(なましょうゆ)』
で押し切っても面白いかなーと思い、
調べてみるとなんと!


両者はそれぞれ別物として存在していることを発見しました」

 

 

え!!? そうだったんですか!???

 

生醤油(きじょうゆ)だけだと思っていたんですが、

生醤油(なましょうゆ)というものもあるんですね〜〜

  

「一般的に使われている醤油は、

殆どが生醤油(きじょうゆ)であり、

これはもろみから絞りだした醤油に対して加熱殺菌を行うことで醸造されます。

一方で生醤油(なましょうゆ)は、元は同じ醤油でも、ミクロフィルターを通すことにより加熱殺菌を行う必要がないそうです。

 

まさかこの歳にもなって、

ラジオネームがきっかけで、

醤油についてひとつ小さな発見に出会えるとは・・・





人生って不思議なものですね」

  

とのことです。

ラジオネーム 味噌らひばり さんからのお便りでした。

 

 

いやいや〜

小さいながらもタメになる発見でしたね〜〜

 

    \テレレ テッテッテ~/ 

(ドラクエのレベルアップ時SE)

 

 

味噌らひばりさんには、

番組特製オリジナルうまい棒 カミソリレモン味、差し上げま〜す。

 

 

 

レモンエフの一人会議では

☆皆様からのお便りをお待ちしております!☆

こじ明けろ!!

 

 

聞いてくださいよ。

 

 

本日、223日は当ブログ

『レモンエフのワードアート右クリック』

開設4周年です!!

 

めでたい!!!

 

 

めでたすぎる!!!!!

 

盆と正月と天皇誕生日が一緒に来た!!!

 

 

 

めでたいついでに一点ご連絡。

 

昨年最初の投稿にて、

ブログ名を“LemonF BoxBox”に改名 した旨をご報告しましたが、

この度どさくさに紛れて元に戻しました!!!

 

 

 

 

めでたい!!!!

 

 

 

芸能人でも改名後しばらくして、元の芸名に戻すのはよくある話ですし。

 

磯野貴理子磯野貴理磯野貴理子

とか

おさるモンキッキーおさる

   → モンキッキーおさる

みたいな。

 

 

そして、ブログ開設4周年やら再改名やらのどさくさにさらに紛れる形で、もう一点ご連絡。

 

 

これが2022年初めての投稿です。

 

明けましておめでとうございます。

 

昨年より、新年のご挨拶がさらに遅くなってしまいました。

 

つまり冒頭にて

盆と正月と天皇誕生日が一緒に来た!!!

と記しましたが、

このブログ上においては、

天皇誕生日だけでなく正月も本当に来ていたことになりますね。

 

 

めでたい!!!!!

 

 

更新が滞っていた件について言い訳をさせてもらうと、

昨年末から今もなお私用によりバタついた状況が続いており、なかなかブログで新年のご挨拶ができない状況が続いていました。

 

ラッパー風に言い換えると、

重い 腰を上げてやっと

今宵 年を明けてやった (Yeah)

といったところ。

 

 

ラッパーついでに少し思い出してしまったので脱線します。

 

一時期LINE上で同意の返信を一言で済ませたいときに

“Yeah”

とだけ返していたのですが、

当時の自分はスペルミスに気付かずにしばらく

“Year”

と表記していました。

 

まさかこんなところで

Yeah Year が繋がるとは思わなんだ。

 

 

それにしても、2022年ということは言い換えると令和4年。

あのラッパー風に言い換えると

R-4です。

 

平成から続いてきた当ブログでは、

この「令和」が発表される前に新元号を予想したこともございました。

 

その令和ももう4年目に突入したというわけです。

 

 

そこで、一点皆様にお願いしたいことがございます。

 

古臭い言動やベタなボケをした人に対して

「令和やぞ」

「令和にするボケか」

ってツッコむのはもうやめませんか?

 

 

令和になった当初は、元号という、いわば最も「新しい」ものとして万人が認識している最大公約数を引き合いに出すことで、

ボケの古めかしさを相対的かつ端的に指摘できる秀逸なキラーフレーズとして、広く利用されてきました。

 

その汎用性の高さゆえに、巷で広く利用されてきたわけですが、

昨年夏あたりからこのツッコミワードを聞くたびに違和感を覚えるようになり、

その違和感は日に日に増していきました。

 

 

それはこのワードが各所で散々こすられて飽きたからという単純な理由だけでなく、

「令和」を「新しい」ものの最大公約数として扱うには年月が経ちすぎているからです。

 

 

今年からは、前述の

「令和やぞ」「令和にするボケか」

というツッコミを耳にしたら、

 

「令和4年やぞ」
「令和4年にするツッコミか」

とカウンターを返しながら生きていきたいので、

これを以て今年の抱負とさせていただきます。

 

 

 

2022年もレモンエフを宜しくお願いします。

 

 

【JUST IN】レモンエフ、忘年の権利行使せず 2年連続

 

 

レモンエフは今年取得した忘年の権利について、行使しないことを表明した。

 

その理由として、

「今年を振り返ってみて、果たして自分なんかが権利を行使していい立場なのか疑問があった。

個人的に満足のいくような成績を残すことができなかったし、まだこの年でやり残したことがある」

と語った。

 

レモンエフが忘年を行わなかったのは、昨年から2年連続である。

たんぱく質よ、声を上げろ

 

 

先日、はなまるうどんに行ったんですよ。

 

で、座った席の近くに貼ってあった販促用ポスターがふと目に留まったんです。

 

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このポスターを目にしたとき、違和感を覚えた


上のポスターです。

 

一見すると、何の変哲もないポスターなのですが、

なぜか違和感を覚えた私は、

うどん啜り途中(うどんすすりとちゅう)にもかかわらず、二度見してしまいました。

 

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この三つ巴のような三角形が原因

 

 

たんぱく質だけ無言かい

これでした、違和感の正体は。

 

炭水化物「半玉」
野菜「バランス野菜」
タンパク質「」

はなまるうどんのポスター制作ご担当者様は、この歪な三つ巴に何も感じなかったのでしょうか?

 

炭水化物さんや野菜さんにセリフを与えたのであれば、たんぱく質さんに対しても、

キャラの対称性を守るために、何かしらのセリフを与えるほうが自然だと思うんです。

 

なんでもいいんだから、この際「半熟」とか言わせとけよ。

せっかく半熟なんだから。

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画質ガビガビ半熟

しかし、こんなうどん啜り最中(うどんすすりさなか)の一来店客が一瞥した瞬間に気付いたくらいです。

 

給与という対価を受け取って、ポスター制作にあたったご担当者様がこの状況に気付かないわけはないでしょう。

(もしそうでなければ、細かい経過および論理は省略するが、最終的には私もはなまるうどんから給与を受け取らなくては辻褄が合わない)

 

このようなポスターが世に産み落とされたのには、

きっと制作サイドになんらかの意図もしくは事情があったと考えるのが自然

 

…ということで、以下に4点ばかり勝手に推測してみました。

 

① 意図的なキャラ設定

まず、考えられるのがこれ。

 

制作サイドは、たんぱく質さんに対して、“無口”というキャラ設定をしたかったのではないでしょうか。

クレヨンしんちゃんでいうところのボーちゃん的立ち位置です。

それなら無口なのは理解できますし、

鼻水の代わりに半熟の黄身を垂らしているのも実はキャラデザの一環かもしれません。

 

 

② 単純に制作期限が迫っていた

次に考えられるのがこれ。

 

例のポスターの納期が残り数分に迫っているーーー

 

「先方(あるいは確認してもらう先輩社員)にメールを送る時間も考えたら、

まだ完成とはいえないけど、送るしかない」

 

このような経緯で、たんぱく質さんのセリフを入れて完成させるよりも、

ポスターを納期までに提出するほうを選んだのでしょう。

 

思い返せば私も学生時代、

レポートの提出期限まで残り数分と迫っていたために、結論&考察部分を端折って提出したことがございました。

 

これが社会人のお仕事ともあれば、

納期に間に合わず先方に怒られるよりは、

一来店客のブログ(←社会的影響力はミジンコ)で細々とツッコミを入れられる方が100倍マシです。

 

 

 

③ 実は制作当初はセリフが入っていたが、土壇場で削除された

次に考えられるのがこのケースです。

 

制作当初はたんぱく質さんにもセリフが与えられていたものの、

その内容が過激もしくは反社会的であったために、

公開直前の社内チェックの段階で、

「不適切な表現は炎上するのでは?」

と上層部に判断され、土壇場で削除に至ったということも考えられます。

 

では、こうなると下世話な一来店客にとって気がかりなのは、

「削除されたセリフには何が書かれていたのか」

という点です。

 

一見すると人畜無害でただ美味しいだけの半熟卵に対して、

まさか差別を助長するようなセリフや、物騒な内容のセリフを与えていたというのでしょうか。

 

もしも

「お前を頃して、固茹でにするぞ」

「◯亀製麺なんかに行くやつ、頭がザルうどん」

といった内容であったのなら、削除されても致し方ないですね。

 

 

④ お客さまにコラ素材を提供するため

最後に考えられるのは、

制作サイドが遊び心から、

「お客さまにポスターを加筆修正してもらうことで楽しんでほしい」

という思いを込めて、たんぱく質さんのセリフを入れなかったというケースです。

 

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たんぱく質さんにセリフを与えて、
君だけの最強うどんを作り出せ!

 

こんな感じで。

 

 

というか、改めてポスターを見たら、

野菜さんの「バランス野菜」も意味わからんぞ?

 

これは自己紹介なのか?

なぜ「栄養バランス」とかではダメだったんだ?

 

炭水化物さんの「半玉」と整合を取るなら、

ここは「小鉢1杯」と喋るべきだろ。

 

 

おーーい、担当者ぁ!!!

 

 

童謡「たなばたさま」の歌詞が秀逸すぎてレコ大作詞賞もん

 

 

 

こんばんは。

 

七夕の夜なので、

童謡「たなばたさま」の歌詞がいかに秀逸かを僭越ながら説明します。

 

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七夕様

 


ちなみに筆者は音大卒でもなければ、

ろくに音楽に詳しいわけでもありません。

 

たまに関ジャムを観る程度です。

 

 

執筆当初はTBS系列『プレバト!!』(毎日放送制作)の人気コーナー「俳句の才能査定」のように、

歌詞に対してコチャコチャとコメントを入れながら添削していこうと計画していました。

 

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「ブレバト!!」で辛口添削に定評がある夏井先生

 

 

しかし、全くもって音楽の造詣が深くない身でありながら、

偉そうに的外れなことを書いてしまうと

アレ(※)なので、

中立的なスタンスを取ることにしました。

 

アレ:炎上に対するリスクヘッジ

 

 

そもそも童謡と舐めてかかっていたら、

けっこう表現が技巧的だったので、

口出しできる点もありませんでした。

 

 

 

さて、「たなばたさま」歌詞の意味は下記のサイトで丁寧に説明されているため、

こちらをご参照ください。

 

www.worldfolksong.com

 

 

 

歌詞をこちらでも紹介しておきましょう。

 

【一番】

笹の葉さらさら

軒端(のきば)に揺れる

お星さまきらきら

きんぎんすなご

 

【二番】

五色(ごしき)の短冊

わたしが書いた

お星さまきらきら

空からみてる

 

 

一番Aメロ

笹の葉さらさら 軒端に揺れる

 

一番Aメロは情景描写です。

 

歌い出しがア段の音から始まっているので、

一瞬「水野良樹いきものがかり)作詞かしら?」と思いました。

 

note.com

 

 

 

そこで作詞者について調べたところ、

権藤はな代さんという女性で、この曲が代表作のようです。

 

ストリートミュージシャンとしての経歴は確認できなかったため、

おそらく偶々でしょう。

 

 

もしも歌い出しを

「軒端でさらさら 笹の葉揺れる」

にしていたら、

 

「軒端でさらさら」

何の音だろう?

 

 

 「笹の葉揺れる」

→“笹の葉かあ”

 

と、聴き手の想像力を高めることができたような気もします。

 

しかし、先で述べたように、歌い出しをア段にすることで道ゆく通行人の足を止めることができる名曲に仕上がっています。

 

また、「笹の葉」から歌を始めることで、

一見さんにも七夕の歌だネと安心して聴いてもらうことができるでしょう。

 

 

 

一番サビ

お星さまきらきら 金銀砂子(すなご)

 

おったまげました。

 

見るからに子供ウケを狙っていると油断させておきながら、玄人を唸らせるだけの仕掛けが仕込まれています。

 

 

とはいえ私は残念ながら玄人ではないゆえ、

そもそも先程の節が『Aメロ』で、

本節が『サビ』で合っているのかすらも分かりませんが、

素晴らしいことはわかります。

 

その理由は「距離感の使い分け」という技が繰り出されている点にあります。

 

歌詞の中で情景を描く際、

0m(心の中)1m10m100m(手の届かない距離)を散りばめるように書き分けるといい】

と提唱されています。

(と偉そうに書いているが、関ジャムの入れ知恵。いしわたり淳治氏が解説されていた)

 

例として挙げられていた、

槇原敬之「遠く遠く」の歌詞は、

 

Bメロ「同窓会の案内状」

サビ 「遠く遠く」

 

両者が0m100mを結びつけており、

目線が広がっていくような歌詞になっている点が美しいとのことです。

 

たしかに。

 

 

この目線に従って、「七夕様」の一番を参照すると、

Aメロの「軒端」すぐ近くの情景として描写されている一方で、

サビの「お星さま」では遠く遠く、宇宙の情景を描写しています。

 

なんという目線の広がりようでしょう。

 

その拡大率、低く見積もっても槇原氏のおよそ77万倍はあるでしょう。

 

 

 

二番Aメロ

五色の短冊 わたしが書いた

 

 

きんぎんすなご・・・

 

ご・・・・

 

ご・・・・・

 

 

ごしきのたんざく!!!

 

 

 

作詞者の権藤さんも語っているように、

一番の終わりきんぎんすなごの最後の音である「ご」から、

二番の歌い出し「五色の〜」が始まっている点は子供でも歌いやすくすることを目的とした工夫のようです。

 

さらに両者を比較すると、

どちらもが関わる描写であることに気づきました。

権藤さん、仕掛け上手ですよね。

 

一番の歌い終わりにて、宇宙を描写するにあたり、「金銀砂子」と色を持ち出したのがここにも繋がっていたとは。

 

本当に無駄な詩がないです。

 

 

こうなってくると、限られた字数・リズムの中で、「短冊」に対して、

敢えて「わたしが書いた」と補足したことにも明確な意図がありそうです。

 

 

 

二番サビ

お星さまきらきら 空からみてる

 

やられました!!

 

 

うーわ、やられたわ

 

またも目線を広げられてしまいました。

 

一番で

すぐ手元の軒端に目を向けていたら宇宙

 

二番では

すぐ手元の短冊に目を向けていたら宇宙

 

一番、二番とサビ頭を「お星さまきらきら」で統一することで、

鮮やかにIPPONを取られました。

 

 

あくまでもこの歌の主役は、

きらきら輝く「お星さま」

 

そして「お星さま」「空からみてる」

 

 

一番サビでは「金銀砂子」

→地球から見える幾多の「お星さま」の色に関する情報しか与えられていませんでした。

歌詞の上での主語はあくまで観測者である我々です。

 

 

ところが、二番サビで

(お星さまが)空から見てる」と動詞を与えることで、

歌の最終盤において「お星さま」主語能動的立場に代わったわけです。

 

 

当然ながら、この世にある数多の歌はそのほぼ全てにおいて、作詞する立場である人間を主語として作られています。

 

 

ここで思い返してみると、二番Aメロで

「五色の短冊」「わたしが書いた」ことをわざわざ歌詞に織り込んでいたのは、

最後のどんでん返しに向けて

“この歌、そして七夕の主役だって当然我々人間だと思うよな?”

と、聴き手に対して刷り込んでいたのではないでしょうか。

 

しかしながら、それは権藤氏によって覆されました。

 

七夕の主役は「お星さま」でした。

 

 

そして、この主張は初めから

歌のタイトルに暗示されていたのです。

 

【たなばた「さま」】・・・

 

 

この歌は、人間が365日無意識のうちに展開しているエゴイズムに対して警鐘を鳴らすものだったのでは。

 

 

エジソンが捨てた閃き

 

 

「研究室の全体ゼミで進捗報告をしないといけないんだな、明後日。

産むか、進捗。

あーあ、怒濤の勢いで繰り出しちゃった、倒置法。

コツン!」

 

とか考えてたら、唐突に

【パトラッシュ】【細マッチョ】って語感が完全一致だということに気付いてしまった。

 

いやいや、パトラッシュが細マッチョなら、

最期にネロと眠りにつくとき、

お迎えにくる天使のシフト増やさないとな。

 

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世界で最も多くの涙腺に仕事を与えた、天使の出勤シーン

 

天使って1体あたり何kgまで持ち上げられるか分からないけど、あまりに重いと厳しいだろうし。

 

でもパトラッシュはともかく、

ネロは少し鍛えたら細マッチョになりそう。

 

牛乳の代わりにプロテインも飲んでそこそこ筋トレしたらさ。

 

LALALA LALALA

ZINGEN ZINGEN KLEINE VLINDERS

LALALA LALALA

ZINGEN VLINDERS LALA

 

LALALA LALALA

ZINGEN ZINGEN KLEINE VLINDERS

LALALA LALALA

ZINGEN VLINDERS LALA

ミルクいろのよあけ

みえてくる まっすぐなみち

わすれないよ このみちを

ホソマッチョとあるいた

 

 

ところで、天使を数える単位は「1体」でいいのか?