ショート【オウム】

オウムは今日も、

人間が先攻なのでとりあえず今は話しかけられる言葉を復唱しているが、

そのうち攻守交代して自分が話す言葉を人間たちがリピートしてくれるターンがやってくるものだと思い込んでいる。

 

 

オウムは今日も、ホイッスルの音を待っている。

【日本人なので日本語の話をしよう】  #1 長音符の話

 

 

ごきげんよう、日本人。

 

本日から不定期連載として、

【 日本人なので日本語の話をしよう 】

を始めます。

 

なんか不定期連載シリーズって、

いくつか持っておいた方がブログのエントリーが賑わうじゃないですか。

 

昔の江戸っ子だって

宵越しの金は持たなくとも、

ブログの不定期連載は持っていた方が美徳とされていたようですし。

 

ということで、私も不定期連載シリーズの一つくらいは持っておこうと始めることにしました。

 

記念すべき初回 #1 はこちら!

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「初回だから漢数字の一(1)なのかー」とお思いかもしれませんが、

違います

 

これは「長音符」です。

 

ちなみに、漢数字の「一」は

↓こちらなのでお間違えのないように。

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右の「止め」部分の形が違うでしょう



長音符とは、仮名と併せて使われ、

直前の仮名の母音(a,i,u,e,o)を伸ばす役割を持つアイツのことです。

 

単語中に用いられる場合

日本語由来というよりは、

主に英語由来の場合に用いられることの方が多い印象ですよね。

(例:ウォーターサーバー,スモールライト

 

日本語由来の単語内に用いられる場合も、

大抵はカタカナ表記にされていると思います。

(例:スープストックトーキョーニンテンドー

 

 

文末に用いられる場合

一方で、文末に用いられる場合は、

たいてい文章に柔らかい印象を持たせる目的だと思われます。

 

 

ところで、

文尾の「ー」イマイチ使いどころがわからなくないですかー?

 

今も使ってはみたけど多分違うし。

 

なんか一見使い勝手よさそうな形(なり)をしておいて実際はあんまり使えないという、

なんだこれ、ハズレの新入社員か?

 

そもそも誰もお前のこと「長音符」なんて呼んでないどころか、

名前すら認識していないからな。

つけあがんな?

 

多分ほとんどの人はお前のこと、

「横棒」とか「伸ばし棒」みたいに、

その機能と形から適当に名付けて呼んでるよ。

 

「伸ばし棒」とか絶対

100均のどこかのコーナーで売ってるだろ。

 

かくいう僕も、

目がチカチカするような赤大見出しで

「日本語の話をしよう」

とか唐突に言いだしておきながら、

お前の名前知らなかったわ。

 

すまん、ネットで調べた。

 

下手すりゃ今や、

正式名称の認知度でいうと

「食パンの袋を留めるアレ」

に抜かれてるんじゃないのか?

 

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【バッグクロージャー】

最近では正式名称がわからない物の代表選手として雑学系クイズで取り上げられることが多くなった。

その結果、その認知度をメキメキとあげる反面、アイデンティティーを失いつつある。

 

 

そしてもっと使いどころがわからないのは、長音符の亜種である

「〜」←コイツな。

 

もうまず形がダサいもん。

 

小学校の先生だったら

「線は定規を使ってきちんと引きましょう」

って赤ペンで修正入れてるよ?

 

お前ぜったい小学生の頃、イジメられてただろ。

イジメられてはいないにしろ、

イジられる側の記号だったことは確かだろ。

 

記号… 文字… どっちだ、

どっちかよくわからないところも含めて腹立つ奴だな。

 

 

アニメの主人公月9のヒロインだって、台詞でお前のこと使ってないぞ。

お前のこと使ってるの雑魚キャラくらいよ。

 

そういえばのび太は主人公だけど、

ジャイアンにいじめられたとき、

「ドラえも〜ん」

って泣きついてたか。

 

あれ、のび太は主人公で合ってるのか、

ドラえもんが主人公だったかな。

 

のび太ドラえもん… どっちだ、

どっちかよくわからない点がそっくりだな!

 

思い返せば「伸ばし棒」

どことなくのび太にそっくりだったわ!

 

 

それから、文尾にお前をつけると、

文章全体がもれなく8割増しで情けなく見えるんだわ。

 

しかも本来であれば、

文尾といえば句点(。)先輩か

疑問符先輩(?)、感嘆符先輩(!)

絶対領域じゃん?

 

疑問符先輩はまだいいにしろ、

お前の後ろに句点先輩を置くと、

むしろ句点先輩の方が情けなく見えるんだけど〜。

 

句点先輩、影でお前のこと嫌ってるよ?

この前も、連れの読点先輩(、)や中点ちゃん(・)にめっちゃお前の悪口言ってたわ。

 

感嘆符先輩はわりとお前とも親しくされてるからなのか、

気まずい表情で黙って聴いていらしたけど。

 

 

それで、そもそもお前(〜)自体にも「長音符」と別に名前付いてるのか気になって調べたわ。

 

「波ダッシュ」って言うんだな?

 

ダッセ〜〜〜〜〜〜〜

お前のことずっと「波線」って呼んでたわ〜〜

 

やっぱお前小学生の頃、イジメられてただろ。

 

波ダッシュ」って

冴えない地下アイドルの曲名みたいだな。

 

あ、それなら表記は

「涙ッシュ」もしくは「ナミダッシュ」になるか。

 

いや、なんか女バスのコートネームで

ギリギリありそうだからやっぱりさっきの発言は取り消しで。

 

 

とりあえず使い所よく分からないし、

お前いなくなってもいいわ。

 

お前のこと日本で完璧に使いこなせてるの、

伊藤園だけだもん。

 

 

 

 

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【謝罪】全国のナナさんへ

全国のナナさん

ならびに名付けられたご両親の皆さん、本当にすみません。

 

全く悪気はないんです。

 

 

「奈」「那」「菜」「々」、

どの組み合わせだったか覚えられません。

 

最近では「七」とか「南」を入れるパターンもあるんですね。

 

 

今まで目にした方々のお名前の傾向から、

自信をもって断言できるのは

「々」が1文字目に置かれることはないということくらいです。

 

 

本当にすみません。

 

 

新年のご挨拶ならびにご報告

 

 

ご挨拶が遅れて誠にすいませんでした

 

もう2月も半ばです。

「ブログでも新年の挨拶しないとなー」と思ってはいたのですが、筆が進まないままこの時季になってしまいました。

 

本来望むらくは、新年一発目の投稿における書き出しは

「新年明けましておめでとうございます」

の17文字であり、

これ以外の正解はありません。

 

しかしながら実態は

「ご挨拶が遅れて誠にすいませんでした」

の17文字でした。

 

こんな時季に至るまで一度も挨拶をしていないなど、

宝塚歌劇団であれば即退団処分が下されても言い訳できません。

至極妥当。

 

 

どうやら旧正月も4日前に終わってしまったそうなので、ここが宝塚でなく中国であったとしても立派な立派なマナー違反です。

本当にごめんなさい。謝謝。

 

なんなら、昨日はだいぶ暖かかったです。ㅤ

 

冬も終わろうとしているのか…

 

 

ご報告

さて、今回は重要な報告をさせていただきます。

 

2018年2月のブログ開設以来、これまで使用してきたブログ名を変更しました。

 

理由はいたって単純で、

「レモンエフのワードアート右クリック、ダサくない?」

と思ってしまったからです。

 

いや、読者の皆さんの中には、とっくの昔から

「絶望的にだせぇタイトルだなあ(笑)

ㅤだっせぇ、だっせぇ、だっせぇわ」

と思われていた方も多いということは分かってますよ?

 

私が思うより大勢であった可能性も否めませんが。

 

それでもなんとなく惰性で使ってきました。

しかし、年も変わったことですし、

心機一転変更することにいたしました。

 

新ブログ名は

「LemonF BoxBox」

です。

 

「とりあえず横文字使っときゃかっこいい」的な、決して深い意味のない、浅ましい思いで付けました。

 

ですので、寄って集って叩かないでください。

 

叩いても私は辞めませんよ。

(そもそも閲覧数が絶望的に少ないため、

全読者が寄って集ったところでスッカスカ)

 

 

昨年は本当に社会全体において様々なことが変わっていった一年だったので、

私のブログ名が変わったくらいでどうということはないでしょうし、日経平均株価にもなんら変動は見られないでしょう。

 

皆さま、焦って手持ちの株を売ったり、

銀行に駆け込んで預金を全て下ろしたりしないでくださいね。

 

これもひとつのNew Normal として、

どうか、どうか受け入れてください。

 

 

名前も変えたことですし、

今年は投稿内容も少し幅を広げて、

真面目なエントリーを増やしていこうと思います。

 

Facebookにシェアされても恥ずかしくないような投稿を心がけていきたいですね。

 

 

このブログにおいても次第に冬が浅まり、春がやってくるでしょう。

 

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いや、おかしいだろ。

 

「冬が浅まり」なんて表現はないし、

なんなら「浅まる」なんて動詞自体、存在しないだろ。

 

 

おかしい!!

「深まる」という動詞が存在するんだったら、

「浅まる」だって存在して然るべきだろ。

 

なんでないんだよ!!

 

ちょっとあの海鮮系居酒屋の名前っぽいからか?

だいたい思い返すと「深まる」のって、大抵だわ。

秋しか深まってない。

おい!気象予報士!!

「秋も深まってきましたね〜」じゃないんだよ。

、なんなら梅雨も頑張って深めてさしあげろ。

1年じゅう絶え間なく働け。

秋ばっかり深めるな。

 

というか、たまには「浅めろ」。

毎年毎年、秋だけ深めていたら、年を重ねるごとにどんどん秋が深くなってくぞ。

もう秋がマントル

どこかで浅くなってるんなら報告してくれ。

「先週まで深まっていた秋が浅まり始めたことを、本日気象庁が発表しました」

って知らせろ。

手書きのフリップを用意しろ。

 

視聴者に、そして国民に隠し事をするな。

「春めく」「夏めく」「秋めく」「冬めく」は

全て揃ってるじゃないか。

この際言わせてもらうと「(季節)めく」ってなんだ!

活用すると「(季節)めいて」、知らんがな!

 

なんなんだこの国は。

なんなんだ日本語は。

 

 

 

春を呼んでこい。

 

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やっぱりFacebook へのシェアはやめておきましょう。


わたしのためにも、読者の皆さまのためにも。

 


本年も宜しくお願いいたします。



縦スクロールバーのボックスが下端に触れた折

 

 

2020年という一年間を1本の記事に喩えるなら

本日大晦日がその結末であり、オチがついたところーーー

 

ようやく、ようやくページ右側に表示されている縦スクロールバーのボックスが下端まで達しました。

 

 

これが良記事だったなら

「いやー、なかなかに面白い記事だった」

と感慨に耽り、なかにはもう一回読み返す人もいたかもしれないでしょう。

 

しかしながら、今年はどうでした?

 

エントリー「2020年」【読了目安時間:8,784h】

は如何でしたか?

 

 

インターネットに転がっている記事には、

残念ながら極めてその内容が無益であり、読んだ時間を返してほしいと思うようなものも存在します。

 

それを読むとつくづく

「ブログの記事は大抵一本数分、いくら長くてもせいぜい1時間程度で読めるからよかった」

と思わずにはいられません。

 

“無益”くらいなら余程マシってもんです。

 

 

このエントリーでは世界が変わるなんて、クリックするまでは予想だにしませんでした。

 

記事概要には

“待ちに待ったスポーツの祭典!!”

とか書いてありませんでしたか?

気のせいでしたっけ。

 

 

クリックしてみると、

わりかし序盤で大きなテーマ転換を迎えましたが、まだ

「この大作、まだまだ何かしら面白い結末へ向かっていくだろう」

と楽観していた時季もあったような気がします。

 

でも読み進めども展開は一向に変わらず、

スクロールバーが下がっていく中で気付いたのは

「これはクソ記事だ」

 

 

ページを閉じればお終いです、ブログ記事ならば。

 

 

本当に有難いことに、私の使用している携帯端末はまだ寿命が残っており、

もう少し先のエントリーも閲覧することができるのが幸いです。

 

それでも携帯端末って突然寿命を迎えることが珍しくなく、

最後に閲覧するエントリーを選ぶことが結果的にできなかったということも多々あります。

 

しかしながら開いてみなければ、どんな記事なのかを概要だけで推測することはできないのが、面白くもあり辛くもある部分です。

 

 

 

lemonf.hatenablog.com

 

そういえば昨年の春、

健康診断で私がある“禁忌”を破ったために

「来年(則ち今年2020年)は受診できるのか」

と締めた記事を投稿しました。

 

そこで今年の健康診断についてなのですが、

件の影響で診断は秋に延期となり、

さらに私はその機会を逃しました。

 

図らずも伏線を回収してオチがついてしまったわけですが、

結局これも分からないもんなんですね。

 

 

皆さんは禁忌を破ってはいけませんよ。

 

さて、

エントリー「2021年」【読了目安時間:8,760h】

は良記事でしょうかね!!

 

良記事だといいですね!!(空元気)

 

 

来年こそは“良い”お年をお迎えください。

縦スクロールバーのボックスが下端に触れようとする折

 

 

スクロールバー

をご存知でしょうか。

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PCユーザーならほぼ目にしているはず。

パソコンで検索エンジンを使用したり、

Word・ExcelPowerPoint 三兄弟とよろしくやったことがある方なら必ずや目にした経験があるはずです。

 

いや、というかあります。

 

私が保証します。

 

 

画面全体ではページを表示しきれない場合、

画面端にスクロールバーは表示されます。

  

そして私たちは、スクロールバーの中にあるスクロールボックスを上下もしくは左右にスライド操作することで、

ページ内の表示したい範囲を移動させることができます。

 

スクロールバーはその著しく高い機能性ならびに洗練されたUI(ユーザーインターフェース)が評価され、

世界初となるパーソナルコンピューターがアメリカで発売された1975年以降、実は45年連続でグッドデザイン賞を受賞していたのではないかと一部のスクロールバー信者の間で唱えられています。

 

 

そして現在では、スマートフォンが爆速に普及したことで、

ホモ・サピエンスはいちいちパソコンを立ち上げることすら面倒になってしまいました。

その結果、インターネットサーフィンも専ら机上でなく掌上でしか行わなくなったという方は多いでしょう。

 

それでもスクロールバーは、スマートフォンのブラウザにもちゃっかりとその姿を残しています。

 

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人類の歴史は、創生と淘汰の連続。

それでもスクロールバーは淘汰されず、新元号が「向定」になることも無論なかった。


 

スマートフォン上では、表示範囲の移動自体はスワイプで簡単にできてしまうため、

スクロールバーはどの範囲が表示されているかを示す目印として、

その唯一にして重大な役目を全うしています。

 

 

 

さて、そのようなスクロールバーですが、

唯一にして重大な欠点があることに気付きました。

 

記事が終わるタイミングがなんとなくわかっちゃう

著しくかつ甚だしく、マキシマムにこれです。

 

 

我々が面白い記事を見つけて読んでいたとしても、

開発者側の親切心により画面右側を元気に縦走するスクロールバーがいるせいで、記事があとどれくらいで終わるのか見当がついてしまうのです。

 

 

他のコンテンツに喩えるならば、

SASUKE(TBS系列)にて、放送時間が残り30分を切ったあたりで、3rd STAGE成功者(=FINAL STAGE進出者)が今回は現れるのかなんとなくわかってしまい、視聴へのモチベーションが少し落ちてしまう現象も同様です。

 

これはホモ・サピエンスが共通して抱える由々しき問題です。

(但し、同じホモ・サピエンスの中でもSASUKE出場者に限っては、オンエア前に現地で結果を知っているのでこの限りでない)

 

 

漫才やコントなどは、「どのタイミングで大オチがついて幕引きとなるのか」が事前には分からないため、最後までモチベーションが保たれたまま笑覧することができます。

 

一方で、終わるタイミングが事前に分かっていると、来るべき結末に身構えてしまい、

なんとなく予想のついていたタイミングで案の定オチがつくといった事態に巻き込まれます。この時点で面白さはとうに削がれている気がします。

 

秀逸なネット記事であれば、

スクロールバーの存在を忘れるくらい文面に没入でき、気が付いたら美しいむすびを以て私は作品を読み終えていたーーー

などということもないわけではないですが、そのような記事にはなかなか巡り会えないですし、

いざこちらが記事を投稿する立場になったとて、私のような凡夫では読者がスクロールバーの存在を忘れるような文章を紡ぐことはできません。

 

 

 

事実、今あなたはスクロールバーの位置を確認して、

この記事があとどれくらい残っているのか気にかけましたよね?

 

そして

「あと3分の1くらいあるのかあ、

 どんな結びになるだろう・・・」

という思いが脳裏をよぎりましたね?

 

 

 

 

そんな感じで、

スクロールバーごときに甘〜〜くネタバレされるのが

ちょっと嫌になるときがあるんですよ〜〜〜

 

 

 








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://m.youtube.com/user/HikakinGames

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

だから、ちょっと抗いたくなっちゃいました☆

 

ホモ・サピエンスをナメるなよ!!!

 

続きはこちらに↓

 

lemonf.hatenablog.com

日本人が心の中で「公私」を切り分けるようになった由来は工場の企業戦略?という話

人々ははるか昔からどこかに「住処」を構え日々を過ごしていた。

 

これは今も当然のことであり、将来も変わらないはずである。

 

さて、そんなあまりにも身近どころか至近ともいえる「住居」であるが、

実は「住宅地」という概念が人々から意識されるようになったのは、産業革命が起きた頃であり、比較的最近のことだ。

 

前近代では、人々は職場の近傍あるいは同一の建物で私生活も送っていたと言われると、確かにイメージが湧く。

昔の鉱山などはその典型であり、もう少し身近な例を挙げると、歴史の長い商店街に立ち並ぶ【1階:商店,2階:居住スペース】という構造の建物も職住一体である。

 

 

遡ること弥生時代、農耕を覚えた日本人は作物を育てやすい場所に拠点を構え、そこからしばらくの間、日本人(特に男性)の生活の中心は「営み」ではなく「仕事」、「私」ではなく「公」だったのだろう。

 

この時代は現代ほど私生活に重きを置いていなかったのであれば、住環境に多くを望まなかったのは自然といえるのではないか。

 

初めて誕生した「住宅地」も、住民たちが渇望したというわけでなく、

工場などを有する民間企業

『職場近くに良質な住環境を整備すれば優秀な労働者を獲得できるだろう』と図り率先して行ったというのだから、その成り立ちまで「仕事」由来である。

 

 

これが現代ではすっかり、“ワークライフバランス”という言葉が定着し、

「休みの日にわざわざ職場のある街に行きたくない」と漏らす人まで現れている。


 

もしかすると公共交通および自動車の発達も、日本人が意識しないうちに人々の職場と住まいを徐々に遠ざけ、

我々の肉体的な「私」「公」を切り離すばかりか、両者の心理的距離までも遠ざける要因となっているのではないか。



それもこれもあの時、企業戦略により住環境の追求が起きなければ、仕事よりもプライベートを優先する人がここまで増えなかったのではないかと考えると皮肉なものである。



 

そして今、新たなウイルスの出現により、近代に分散を続けてきた職場と住まいが否応にも一箇所に収束しようとしている。

 

それでも、新たな家具や家電を買ったり、ついには郊外に移住する人まで現れているのを見るに、日本人の心の中でスッパリ切り分けられた「私」と「公」が再び結びつくことは起きそうにもない。