日本人が心の中で「公私」を切り分けるようになった由来は工場の企業戦略?という話

人々ははるか昔からどこかに「住処」を構え日々を過ごしていた。

 

これは今も当然のことであり、将来も変わらないはずである。

 

さて、そんなあまりにも身近どころか至近ともいえる「住居」であるが、

実は「住宅地」という概念が人々から意識されるようになったのは、産業革命が起きた頃であり、比較的最近のことだ。

 

前近代では、人々は職場の近傍あるいは同一の建物で私生活も送っていたと言われると、確かにイメージが湧く。

昔の鉱山などはその典型であり、もう少し身近な例を挙げると、歴史の長い商店街に立ち並ぶ【1階:商店,2階:居住スペース】という構造の建物も職住一体である。

 

 

遡ること弥生時代、農耕を覚えた日本人は作物を育てやすい場所に拠点を構え、そこからしばらくの間、日本人(特に男性)の生活の中心は「営み」ではなく「仕事」、「私」ではなく「公」だったのだろう。

 

この時代は現代ほど私生活に重きを置いていなかったのであれば、住環境に多くを望まなかったのは自然といえるのではないか。

 

初めて誕生した「住宅地」も、住民たちが渇望したというわけでなく、

工場などを有する民間企業

『職場近くに良質な住環境を整備すれば優秀な労働者を獲得できるだろう』と図り率先して行ったというのだから、その成り立ちまで「仕事」由来である。

 

 

これが現代ではすっかり、“ワークライフバランス”という言葉が定着し、

「休みの日にわざわざ職場のある街に行きたくない」と漏らす人まで現れている。


 

もしかすると公共交通および自動車の発達も、日本人が意識しないうちに人々の職場と住まいを徐々に遠ざけ、

我々の肉体的な「私」「公」を切り離すばかりか、両者の心理的距離までも遠ざける要因となっているのではないか。



それもこれもあの時、企業戦略により住環境の追求が起きなければ、仕事よりもプライベートを優先する人がここまで増えなかったのではないかと考えると皮肉なものである。



 

そして今、新たなウイルスの出現により、近代に分散を続けてきた職場と住まいが否応にも一箇所に収束しようとしている。

 

それでも、新たな家具や家電を買ったり、ついには郊外に移住する人まで現れているのを見るに、日本人の心の中でスッパリ切り分けられた「私」と「公」が再び結びつくことは起きそうにもない。