アノ「言葉遊び」に対して仇を討たなければいけない
春は何故だか、なんの脈絡もないような昔のことを不意に思い出すことが多く、ブログのテーマがその都度ブレがちになる。
(始めて間もない今だからこのようなことを言っているが、どうせこの先、夏が来ても秋が来ても冬が来てもこのブログのテーマは毎回ブレブレになる気もする。
おっと、「俺のせいにするな」と春がお怒りだ)
今回は私が小学生のときに友だちから訊かれた質問についての話である。
私に限らず読者の皆さんも、特に男性の方は幼少期に友だちからこのような質問をされた記憶はないだろうか。
「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」
文字におこすと少々この質問の真意が分かりづらいが、
「はいはい、これね」
「あったあった、俺も騙されたわ」
「あの頃はちゃんと風呂に入っていたなあ」
と思い出している方もいるはずである。
まだ、他人から騙されるという経験をほとんど積んでいなかったが故に純粋無垢で、瞳なんてパールのように澄み切っていた小学生時代、初めてこの質問を問われた私はなんの疑いもなく
「そりゃ当然じゃん」
と答えたわけである。
(その時も瞳はパールだったしドッヂボールが大好きだった)
すると、友だちは意地悪い笑顔を浮かべながら、
「え!姉ちゃんと風呂入ってんの!?」
と驚いてみせるわけである。
なぜ友だちがこのようなことを言ったのか、ロジックをご存知の方に対して今更解説を入れるのも野暮だとは思う。しかし今、私のこのブログを読んでくださっている方々の中に、まだパールをお持ちで、そのロジックを聞かされていない少年少女がいる可能性も大いにあり得るので、一応以下に解説を入れておこう。
もしも、「まだ私その質問を友達からされたことがないはずだけど、ここで解説を見ちゃったら、いつかその質問をされたときにフレッシュなリアクションができなくて場の空気を微妙な感じにしちゃうよ〜!それだけは嫌〜!小学校から家に帰ったら、その日の給食と同じメニューが夕飯でも出てくるくらい嫌〜!」
という方がいる場合はネタバレになってしまうので、ここでこのブログを閉じ、公園に行って元気にすべり台やらブランコやらで遊んできてほしい。
※ネタバレ注意※
《解説》
「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」
この質問文について、読点を外して文節を繋ぎ変換すると
「姉ちゃんと風呂入ってる?」
という意味を取ることができるのだ。
本質は至極簡単な『言葉遊び』である。
《解説ここまで》
初めてこの質問文(というか文章がもつトリック性)を思いつき、その口からこの世に言葉として生み放ったのは一体誰なのか、もはや知る術は皆無であるが、万一この質問文の作者と対面できる機会を与えられたのならば、いの一番に言ってやりたいことがある。
もう握手とか名刺交換とかすっぽかして、いの一番であr
「しょ〜〜〜もねえ〜」
え、あまりにもしょーもなさすぎじゃありません?
しょーもなさすぎて、文章内に入れるべき“タメ”がすっぽ抜けてしまいました。
失投。
放課後の「帰りの会」の方がまだ、しょーもなくないレベルですよ。
この質問を食らっただけで一日の「許容しょーもない質問摂取量」をオーバーしてしまいますが!?
先生!!
このままじゃ私、「しょーもない質問尿病」に罹ってしまいます!!
と、いうわけでしょーもないのである。
しかし悲しいことに、まだ純粋無垢だった小学生の私は、
「いやいや!!ンなわけないだろ!なんで姉ちゃんと入っているんだよ!!」
と必死に否定するという、友だちにとって思うツボの反応しかできなかったわけである。
情けない、あゝ情けない。
もしも与謝野晶子が私の姉だったら私に向かって「君死にたまへ」と言っていたことだろう。
あれから十数年の月日が流れ、今や私は立派な成人になった。
数え切れぬ苦難を乗り越え、幅広い分野における学を蓄え、他人を騙し、騙され、騙すことの方が騙されることよりも少し多いくらいの立派な成人になった。もう私を指して純粋無垢とは呼べぬかもしれないが、それでもよい。
かつて澄み切っていた瞳は濁ってしまったが、これは程よい濁りである。松平定信が寛政の改革に失敗した際に「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」と皮肉る狂歌が詠まれたときの感じである。
特に社会の荒波に揉まれながら生きていく者においては、パールの瞳が一番というわけではないのだ(今でもドッヂボールは大好きであることは変わらないが)。
あの時、私を辱めた「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」という質問に対して「まぁまぁ。所詮あの年頃の子どもが好む言葉遊びの一種だから(笑)」と寛大な心もちで振り返っていられるような私ではない。そんなことでは、小学生時代の私に申し訳が立たない。
サンボマスターは「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」という楽曲の歌詞の中で
「悲しみで花が咲くものか」
と唄ったが、私は憎しみから花を咲かせてやる。
仇を討つ。
あのしょーもないながらも忌々しい質問に対して仇を討つ。
よくも小学生のワシを辱めよって!!
許さんぞ!!
どうでもいいけど怒ったらお腹が空いてきた。
夕飯食べよ。
【しょーもないアノ質問を受け流すための対策を考える】
夕飯を食べたところ少し冷静になった。
先ほどは取り乱してしまい、読者の皆さま並びに勝手に歌詞を引用してしまったサンボマスターさんに誠に申し訳ないと猛省している次第である。
ここからは上記の見出しの通り、対策を考えていく。
その上で、言い換えた後の質問文の中に不明瞭な点が一つある。これは読者一人ひとりが、周りの親族関係によって解釈が分かれてしまう問題につながるのでこれを先ずはっきりとさせておく。
この質問には最後に、回答者と一緒に風呂に入ってることにされてしまう「姉ちゃん」が登場する。彼女についての解釈が些か厄介である。
一方の解釈として、もし回答者に続柄としての姉が存在する場合はこの人を指すであろう。
他方の解釈として、回答者に続柄としての姉が存在しなかった場合、彼女については、若い女性全般を指す三人称としての「姉ちゃん」ということになるであろう。
事実、私は一人っ子であり、続柄としての姉をもたないため、後者の解釈で受け取る他ない。
ここで「ていうか姉弟でもないのに、任意の姉ちゃんと風呂に入るってどんな状況だよ」という疑問が付きまとい、そもそもこの不条理を突きつければ、質問してきた友だちも小学生であった手前、この段階で私は友だちひいてはこのしょーもない質問を攻略することができたはずだ。
(攻略の代償として、おそらく私は「理屈野郎」として面倒くさがられて友だちとは次第に疎遠になっていき、ドッヂボールにも誘われなくなることが予想されるがここでは考慮しないこととする)。
ここから先の文章では後者の解釈(「姉ちゃん」=“若い女性全般を指す三人称”)を定義として採用し、対策を考えていく。
①筆談か手話による質問を要求する
回答者がろう者(耳の不自由な人)であるという、かなり限定された場合にのみ使える。
私は耳が聞こえるので使うことができない。
そもそも耳の不自由な友だちに対して、こんな意地悪な質問をする奴はいくら小学生であっても人間のクズと呼ばざるを得ない。おそらく死んでも天国へ行けることはまずない。地獄行き確定。しかもその地獄に若い女性なんていないからな、覚悟しとけ。
②外国語での質問を要求する
回答者が日本語以外の言語を母語としているという、こちらもかなり限定された場合にのみ使える。
私は日本語が母語だし、英語といっても「でぃす いず あ ぺーん」くらいしか話せないので使うことはできない。
そもそも外国人相手に、これがジャパニーズジョークだと言わんばかりにこんなしょーもない質問を投げかける奴はいくら小学生であっても日本国の恥とも呼ぶべき存在である。お前みたいなやつが世界で通用すると思うな、それから英語はちゃんと勉強しろよ。
③「姉ちゃんと?」と訊き返す
ここまでは私が講じることのできない対策ばかりを挙げてしまったが、ここからは誰でも使えるものである。
初めてこの質問を聞かれたときにたまたまよく聞こえなかった場合は、この手段を使う好機であるといえる。このときに気をつけなくてはならないのは、友だちの質問文をそのまま訊き返してはいけない。そのまま訊き返すと、結局友だちはもう一度同じ質問をしてくるので状況は最初と変わらず、結果として回答者は姉ちゃんとの入浴を強いられてしまう。
正しく回答者が「姉ちゃんと?」と訊き返した際、この一句の中に感動詞である「ねえ」が含まれていることは自明に不自然であるので、質問者である友だちの返事に応じて、回答者は適切に命題を処理することができる。
あ、 命題というのは「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」という最初の質問のことね。
ごめん、突然「命題」なんて言い換えちゃって。
④風呂自体入っていないことにする
奇策であるが、風呂自体に入っていないことにしてしまえば、回答者は自信をもって「いや!入ってないよ!」と答えることができる。どちらのパターンに言い換えたとしても“No”であるシチュエーションをセッティングしてしまうのだ。
「え!姉ちゃんと風呂入ってんの!?」をスタンバイしていた質問者は、想定外の風呂入ってない宣言に、完全に虚を衝かれることとなる。
確実に「え、風呂入ってないの!?」と聞き直されるだろうが、たじろいではいけない。真っ直ぐと前を見据え「うん」と答えるのだ。
この回答を以って、命題への対処を遂行したことにはなるが、その後に失ったプライドを回復する方法については当記事の管轄外である。面倒見きれん。
この対策については諸刃の剣というよりも、回答者側にしか刃の付いていない剣でしかない気もする。自刃!
⑤姉ちゃんと入っていることにする
これまた手っ取り早い。姉ちゃんと入っていることにしちゃえ。
続柄として、姉弟としての姉ちゃんがいるならともかく、三人称としての姉ちゃんと何故風呂に入っているのか、質問者が疑問に思うことは確実だろう。
しかし、質問者はまだ幼い小学生の友だちであったが故に知らないのである。
そこそこまとまったお金を払えば「姉ちゃん」と風呂に入れることを。世の中にはそういったオプションがあり、また、そのオプションに金をはたいて優越感に浸る者がいるということを。
完璧だ……。
小学生のときはイノセントで、ただただこの質問のトラップにひっかかるだけの「回答者」だった私よ。
十数年越しに仇は討ってやったからな……。
ただ、仇を討っても何故か満足感は得られない。
闘ってみて気付いたことがある。
アノ質問を投げかけられたときの状況というのは、丸腰で海へ投げ出されて漂流している状況と似ている。
もしも沖合で漂流したときは、陸地を求めてがむしゃらに一方へ泳ぐよりも、何もせずに浮いた状態で助けを待った方が体力を消費することがなく、結果として生存率は高くなるそうである。
時には何も知らない「回答者」としてありのままでいることが、長い人生の中の一時における最適解になることもあるのだ。今回の検討を通してこの真意に達することができたというのが、この十数年の間に私が成長した証であろう。
そういえば似た質問で
「ぱん、つくったことある?」
というものがあったことを思い出したが、もうこの際どうでもいい。
そもそも私は、パンツを食ったことは勿論として、パンを作ったこともないわ。
なんだこの質問、しょーもないを通り越して重大な欠陥があるな。
パンを作ったことがない人は風呂に入ってない人に比べればちょくちょくいるぞ。
気がつくと長い文章になってしまった。
夜も更けてきたことだし、今回はここでお別れとしよう。
とりあえずPCを閉じて、ちゃんと風呂入ってくるか。